paris and cinema

第8回パリ紀行(2006.5)
chapter 8 すずらんの日、パリを離れて

  5月1日はメーデー。労働者の国・フランスではこの日は祝日。この日はまた、大切な人の幸運を祈ってすずらんの花束を贈る「LA FETE DE MUGUET」の日でもあって、街にはすずらんを手にした人がたくさん。メトロのなかでも至るところですずらんの香りが漂い、若いパリジェンヌが買った花の香をく〜んと吸って素敵な笑顔を見せる(なぜかそれだけで絵になる)。なんだかいい習慣だ。ちょうど赤い羽根募金のように、小学生たちが街頭で声を合わせながら1束1ユーロくらいの値段で売っていたり、ちょっと街を外れると街道沿いで町内会のおじさん、おばさんが道行くクルマに花を売る。この日ばかりは花屋でなくてもすずらんを売ることができるという、公的機関のお墨付きもあるらしい。


 そんな美しい光景のなか、われわれはパリ近郊のヴォー・ル・ヴィコント城を目指した。パリ以外のいわゆるイル・ド・フランス地方を旅するのは8年ほど前に行ったヴェルサイユ以降はじめて。そのヴェルサイユ宮殿建設のきっかけとなったいわくつきの建築物が、このヴォー・ル・ヴィコント城だ。これを造ったのは、太陽王ルイ14世の時代、ブルボン王朝全盛期の財務大臣だったフーケさん。何がこの頃の貴族を裕福にしたのか知らないが、フーケ家もたいした財産を作っていて、その有り余る財産を元手に、ここに壮大な庭園&森付きの城を築いてしまったのだという。城と庭園だけでも約33ヘクタールで六本木ヒルズのざっと3倍。その背景にたっぷりと抱えた森に至っては、「広大」の言葉の域を超えている。庭園を設計したのは、幾何学的かつ線対称の美しい造景と水圧を利用した噴水や池を効果的に配したスタイルで一世を風靡したル・ノートル。この稀代の城へ王様を呼んだのが失敗のはじまりで、王様は喜ぶどころか自分の城より立派なこの建築に完全に嫉妬して、フーケを投獄。同じル・ノートルを使って「これより立派な城を造れ」とばかりにヴェルサイユ城の造園をさせたのだった。

 

  パリ・リヨン駅からヴォー・ル・ヴィコント城の最寄りとなるムラン駅へはRERのD線で約50分、あるいは中距離列車で約30分。東京駅からなら津田沼に行くのと同じくらいだが、そこには津田沼とはまったく違う風景が広がる。川は美しく流れ、広大な畑が緑を繁らす。奥の方には森が広がり、当然超高層マンションやネオンサインもない。ムラン駅からはシャトルバスと呼ばれるものに乗るが、これが大型の観光バスなのに客は我々2人。一番前の両側に陣取って、パノラミックな景色を眺めていると、時おり道路ばたにすずらん売りの人たちが産直の野菜売りのように立っている。そんななかを約20分。城以外に何もないところに我々を残して、バスは行ってしまった。ヴォー・ル・ヴィコント城の良さについては、ガイドブックに任せることにするが、ヴェルサイユほどの絢爛さはないものの、フランス映画のなかのような緑と建築の調和の美しさは、当時の貴族の栄華を十分に物語るものだった。