paris and cinema

第8回パリ紀行(2006.5)
chapter 6 パリのアメリカンホスピタル

  前の晩から、妻の様子がおかしくなった。帰りのタクシーを降りるなり、「気持ち悪い。吐きそう。」という。ホテルの玄関まで数10mを5分もかけて辿りつけば、その夜はもうベッドとトイレの往復で『のたうち回る』という表現があてはまるほど大変なことになった。こんなときはフロントより日本語の通じるクレジットカード会社のトラベルデスク。朝になって電話すると、日本人医師がいるというアメリカンホスピタルを紹介してくれた。予約専用ダイヤルがあるといわれて電話すると日本人の受付がいて安心したが、かかりたい内科の先生は予約がいっぱいだという。だいぶひどいと説明すると、救急センターがあるからそちらへ行った方が早いと教えられた。というわけで早速タクシーに乗り、パリ郊外のヌイユという街にある病院へと駆けつけたのだった。


   救急に行って状況をざっと説明し、日本人の通訳が欲しいとも言ったが、こちらが英語とフランス語のちゃんぽんで通じると判断されたのか、そのまま診察となった。もちろんフランスで病院に来るのは初めて。ちょっと緊張したが、アメリカンホスピタルでは問診票や手続きの書類の多くに日本語の説明書きがついていて、わかりやすい。とはいえ、詳しい病状はフランス語で説明することになる。「下痢」とか「吐き気」「腸」など普段は使わない単語を電子辞書で片っ端からひきながら、身振り手振りも交えて、もう必死で喋った。だいたい通じたようだったのだが、その医者は救急担当医だったらしく、お相手はそこまで。違う部屋に移されると、そこにやってきたのはジャン・レノとカルロス・ゴーンを足して2で割って、頭をボサボサにしたような先生。病院中に響きそうな声で「ボンジュー」と叫びながら、大仰に握手を求めてきた。これが彼のスタイルらしい。そしてまたいろいろと状況を聞くのだが、前の日の昼食に彼女がほうれん草のキッシュを食べたというと、「おー、それだそれだ」と一人合点し、「私も食べた」という声も聞かず、簡単に結論づけてしまった。


  結局、点滴をすることになった。肉食人種たる欧米の医療は、薬も強いし、血を抜くのもずさんなのではと心配したが、看護婦さんの仕事も手慣れたもの。診察や治療の流れ、方法は、日本とほとんど変わらず。2時間も点滴をすると妻もだいぶ落ち着いてきたようだった。血液検査の結果も出て、特に急を要するほどではないから、帰って薬を飲んでいなさいと言う。


  その点滴のあいだ、私は蒼白の妻の顔を見ながらも、周囲の観察を怠らなかった。診察の手順こそ変わらないが、病院の雰囲気は日本とだいぶ違う。医者は要所要所で冗談を言って看護婦を笑わせているし、看護婦自身もおしゃべりが多い。まあフランスではこうした現象はここに限ったことではない。彼らは友人が近くにいれば、患者や客をそっちのけでおしゃべりするし、こちらが割って入るでもなければなかなかおしゃべりを止めない。昔はそんなこともいちいち目くじら立てて怒っていたが、最近では、それが普通で、気持ちよく応対してくれるフランス人が特別なんだと思うようにした。でもこの病院のみなさんはその明るさも相まって、全体的にはとても親切だった。

※写真は病床の妻を置いて行った「ジャックマールアンドレ美術館」。邸宅を受け継いだ瀟洒な建物のなかには、私の好きなレンブラントも所蔵している。