cafe time sucre

カフェ・タイム・シュクレは、シュクレの杉浦今日子が、日々の出来事や刺繍のこと、
フランスのこと、もの作りのことなどをつらつらと書き綴る日記です。
コーヒーやお茶を片手に、ひと休みという時間のお供にどうぞ。


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2006.9.30
アマデウス
見つけてしまいました・・。
先日フランス映画好きと書いておきながら、いきなりなんですが、『アメリカン・ドラマ』も大好きです。今見ているのは、『24』(こういうタイプのものは普段見ないんだけど、これだけは目が釘付けです)、『チャームド〜魔女3姉妹』(プルー姉さんのセクシーさがたまりません。4からいなくなっちゃうなんて寂しい・・)『ホワイトハウス』(アリソン、大好きっ!!かっこいいっ!!)などなど。
アメリカン・ドラマのすごいところは、キャラクター設定にあると思います。人気のあるドラマは、シーズン1からどんどん続編が作られていきます。シーズン1からずっと見ていると、この人はこういう人だから、きっとこういうときはこう言う・・とか、こうするだろう・・とか、予測が付くのです。そしてドラマの中でキャラクターが経験によって成長していくのが見られます。だんだんそのキャラクターに愛情がわいてきて、一緒に泣いたり笑ったりして、キャラクターがまるで知り合いか友人のように感じます。あの構成力はすばらしい。
今まで見てきたドラマで、中でも秀逸であったのがやっぱり『セックス・アンド・ザ・シティー』でしょう。NYに住む全く違うキャラクターの女性4人の物語。仕事、恋、人生などに悩みながら、自分の道を進んでいく彼女たちの等身大なNY生活が、本当に楽しそうでたまらないのです。シーズン1から6までありますが、最後は号泣しました。最終シーズンはDVDもゲット。今もときどき見ています。
で、なんで今回のコラムのタイトルが『アマデウス』かというと、先日久しぶりに借りて見ていたら、なんと!!『アマデウス』の中に、『ミランダ』を発見してしまいました!!(ミランダはセックス・アンド・ザ・シティーの4人のなかの一人です)約20年前のミランダ!!(15年くらいかな・・?)設定も全然違うし、ものすごく若いけど、確かにミランダでした。最初わからなくて、『誰かに似てる・・・誰かに似てる・・・』ともやもやしながら見ていて、やっと最後の方になって『ミランダだ!!!』と気づきました。
こういう発見て、なんか嬉しいですよね。嬉しくて友人に言いまくりました。

写真はモーツァルトの時代より少し前に完成の、フランスのヴォー・ル・ヴィコント城。ルイ14世の財務長官であったフーケさんが建てたお城です。このお城があまりに素晴らしくて嫉妬したルイ14世が、『オレがもっとスゴイのつくってやる!!!』と鼻息も荒く造ったのが、ヴェルサイユ宮殿。お城の持ち主フーケさんは国家財産横領罪で投獄されてしまいました。このお城が、そのあとの王侯貴族の『これでもかっ!!』という贅沢を加速させてしまったのかもしれません。
2006.9.29
ペダル・ドゥース
フランス映画が好きです。
多分、映画の中では一番沢山フランスものを見ていると思います。全体に流れる『フランス的空気』みたいなものが好きなのだと思います。フランス人は、フランス人以外のなにものでもなく、誰もまねできない・・・みたいな感じ。
一番最近DVDで見たのは『ペダル・ドゥース』。1996年の映画です。『8人の女たち』や『永遠のマリア・カラス』のファニー・アルダン、『歓楽通り』のパトリック・ティムシットなどが出演しています。
『ペダル』はフランス語で『男色家、ホモ』という意味。『ドゥース』は甘いなどの意味もありますが、『愛する人、恋人』という意味なのでしょう。(フランス語苦手です〜。勉強したいんだけど、わたしの脳みそにはかなりの負担で、いつまでたってもしゃべれるようになりません・・・)
実は、わたしゲイものの映画も好きなのです。彼らのひたむきさが好きです。一般社会で白い目で見られたり、ひどい言葉を浴びせられたり、辛い思いを沢山しているはずなのに、明るくてひたむきで、自分の人生を一生懸命楽しんでいる。もちろん、映画の中でしか覗いたことがないから(トーチソング・トリロジーは号泣しました・・。15年くらい前に・・・。プリシラもよかった・・)実際の彼らの生活はわからないけど。同姓しか愛せないという、自分に与えられた運命を受け入れて生きるって、なかなかできないよな・・と思ってしまうのです。
辛いことや、苦しいことが起こるとどうしても『なんで私がこんな目に??』と思うばかりで、なかなか運命として受け入れられなくていつまでもうじうじしてしまう自分と比べると、格段にかっこいい。人間として。
映画の中では、ファニー・アルダンがなんといってもかっこいい!!(彼女はゲイ役じゃないけど)会話がぽんぽん、ぽんぽん気持ちよく進んでいくのも心地いい感じです。音楽も、フレンチポップス好きにはたまりません。サントラが欲しくなりました。


写真はパリ・サン・ラザール駅、朝の出勤風景。まあ当然ですが、皆さん急ぎ足で、マジ顔です。浮き足立っているのは、カメラの手前側にいる旅行者のわれわれのみでした。ここから、ノルマンディー方面の列車がでています。
2006.9.20
東北・函館旅日記6・五稜郭
かねてより、いつかは行きたいと思っていた五稜郭に、とうとう行ってきました。この日のために、司馬遼太郎さんの(また司馬さんです。私の人生、かなり影響されてる?)『燃えよ剣』を再読し、こころの準備は万端。新撰組副長土方歳三気分満載で、意気揚々と五稜郭タワーに乗り込んだわけです。
・・・しかし、新しい五稜郭タワーをみなさんご存じですか?2006年4月1日にオープンしたばかり、高さ107mのお洒落度満点のカクテルグラスの様な容貌の建物です。
1階におみやげ物を売るスペースがあるのですが、入るといきなり『新撰組』の文字があちこちにあって驚きます。榎本武揚の軍だったにもかかわらず、やはりお土産メインは新撰組か・・・と。とにかくいろんなものが売っているのです。新撰組マグカップ、新撰組ストラップ、誠Tシャツ、歳三貯金箱。。。挙げ句の果てには新撰組耳かきなんてのもありました。こういうの企画するのって、楽しいだろうな・・・いくらでも考えられそうだし・・・なんてことを思いながら、いよいよエレベーターに乗って展望階へ。
上に着いて、エレベーターの扉が開いたとたんに、『まずい・・』と思いました。実は、少々高所恐怖症気味なのです。先述したとおり、このタワーはカクテルグラス型。窓が下から上にせり出していて、想像以上に恐ろしい構造だということがわかりました。でもせっかくここまで来たんだし・・・と思い、かなり心拍数を上げながらも窓付近まで近寄り、星形の五稜郭の全貌を見ました。ここが、旧幕府軍(榎本軍)と新政府軍の戦いの場所で、この地で歳三も命を落としたのだと、感慨にふけろう・・・と思うには、このタワーは高すぎました。
とにかく最初から最後まで、どきどきしっぱなし。売店で夕張メロンソフトクリームを注文しているおじちゃんに、『なんと肝の据わった人だ・・・』と思わず尊敬の念を抱いてしまったのでした。


写真は天に突き刺すようにそびえ立つ五稜郭タワー。確かに、五稜郭の星形を見るには高いところからでないと無理なんですけど・・。不甲斐ない私は最初から最後までどきどきしっぱなしでした。おかげで歳三像と一緒に写真を撮るのを忘れてしまいました。たいしたことではないですが、ちょっとそんな自分が悔しい・・・。
2006.9.15
東北・函館旅日記5・嘉兵衛さん。
函館といえば、嘉兵衛さんです。
司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の主人公、テレビドラマにもなった高田屋嘉兵衛さん。函館が『箱館』という字で書かれていたころ、江戸時代後期に蝦夷地の寒村という風情であった箱館を拠点とし、北前船で北方の開発、北洋漁業の基礎を築いた人です。成した財をすべて地域の発展のために投じたという、『公』のために生きた人。
もちろん、函館には高田屋嘉兵衛像があり、高田屋嘉兵衛資料館があります。そしてもちろん、わたしは護国神社から坂を降りてきたところにある嘉兵衛像を仰ぎ見、資料館にも行ってきました。
この人のなにがすごいって、発想力と意志の強さ、船と海に関しての勘の良さ、そして何よりも運の強さです。淡路島で生まれて、青年になるまでかなり悲惨な状況の中での暮らしだったにも関わらず、20代で自分の船を持ち、弟たちと力を合わせて『高田屋』を大きくしていきました。
もうひとつ嘉兵衛さんが知られているのは、『ゴローニン事件』解決のために力を尽くした人であること。当時鎖国状態であった日本とロシアの間に立ち、関係を改善しようと努力したのです。
高田屋嘉兵衛資料館には、当時の北前船を彷彿とさせる品々や、高田屋さんの品々などがあり、嘉兵衛さんの物語が貼ってあったりします。海の男の資料館(波の音、ざっぶ〜ん)という感じです。
そういえば、司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』文庫版の表紙もそうとう海の男ッ!!でした。正直、乙女が買うにはちょっと恥じらいが・・・という表紙です。1巻から6巻までの大作ですが、まず1巻でいきなり日に焼けた若者の白ふん(白ふんどし)姿(劇画調)。2巻で羽織を羽織っているものの、青年となった嘉兵衛さんのこれまた白ふん立ち姿。3巻4巻で、ようやく上半身のみ(しかし裸に羽織り姿)となりほっとしたのも束の間、5巻で再び白ふんで佇む嘉兵衛さん。そして最終巻では、波の間から白ふんでざっぷ〜ん!!です。この表紙に圧倒されて、購入にいたらない女子もいるのでは・・・と、妙なところが心配になりました。

写真は箱館、高田屋嘉兵衛資料館。高田屋造船所跡地につくられました。1号館は明治36年の建築物。佇まいが素敵です。
2006.9.9
東北・函館旅日記4・奥入瀬渓流を歩く。
奥入瀬渓流を歩きました。馬門岩から十和田湖まで。約2時間半、かかりました。
実は奥入瀬渓流には遊歩道があって歩くこともできるのですが、渓流にほぼ沿うような感じで道路もあるのです。だから、観光バスや車で来る人がほとんどみたいで、そういう人たちは要所要所で車から降りてちょろっと渓流を見て、また車に戻って移動・・・というわけです。何の苦労もなく、自然の奇跡満載の奥入瀬渓流を満喫できる仕組みになっています。
でも、われわれは今回、かなり長い距離を歩きました。普段、完璧なインドア生活でご隠居さんのような生活を送っている2人にとっては、かなりの冒険。
歩き始めてちょっとすると、なんだか甘いにおいがしてきました。お菓子の甘さではなく、もっと自然に近いものの甘さ。実はこのにおい、木の樹液のにおいだったのです。その正体は『カツラ』の木。カツラはブナやトチノキなどと並んで、十和田を代表する樹木で、夏から秋にかけて樹液の甘い香りを漂わせるのだそうです。渓流に沿って歩いている間、ほぼずっとこの甘い香りがしていました。なんだかもうすぐ実が熟す果樹園の中を散歩しているみたい。
夏も終わりとあって、赤とんぼが気持ちよさそうに飛んでいました。ここに根が生えた植物や、ここで生まれた虫たちはなんて幸せなんだろうと、渓流の水の流れる音を聞きながら思いました。
・・・とはいいながら、こんな素晴らしい自然の中で話す言葉はくだらぬギャグばかり。他にあまり人がいないことをいいことに、日頃の忙しさから解放されて頭の中がすっからかんになっていたからか、いつもは思いつかないような小学生並の冴えたギャグの連発で、終始爆笑モードでした。周りの植物も虫たちも、渓流の精も、人間てアホだなと思っていたでしょう・・。まあ大いなる自然の前では、人間なんてこんなもんです。


写真は奥入瀬渓流を飛んでいたとんぼ。こうやってアップで見ると、『仮面ライダー』をどうしても思い出してしまいます。なんとなくこのとんぼも強そうに見えるから不思議です。
2006.9.6
東北・函館旅日記3・平泉、中尊寺。
中尊寺に行ったときのこと。境内に入っていきなり、月見坂という急な坂を登らされます。貧血気味の人にはかなりきつい坂です。
そして最初にあるのは『弁慶堂』。ちょっと脇の坂を上がっていくのですが、そこには観光地に付きもののあの顔を入れて写真を撮ることができる弁慶さんがいました。(通称顔ポコ)
弁慶さんはちょっと古めかしくなっていて、作られてからだいぶ経っているような風情。それでももちろん、我々は喜び勇んで顔を出して写真を撮ります。ここでのポイントは、いかにぴったりと顔をはめるかと、どれだけいい顔ができるか。恥ずかしがっている場合ではございません。写真を撮り終わってからちょっと離れて見ていると、結構沢山の人が浮かれた様子でにわか弁慶になって写真を撮っていきます。みなさん、お好きなんですね。わずかな時間見ていただけなので統計学的にどう・・・ってことは言えませんが、女性の方が積極的に顔を当てていたように思います。男性は恥ずかしい・・・と思ってしまうみたい。もしくはやせ我慢?
本堂を過ぎて、中尊寺の中でも有名な金色堂の手前に讃衡蔵というお宝満載の建物があります。入るとまず、大きな仏像3体がお出迎えしてくださいます。そこから中に入っていくと、正面に千手観音像が見えます。その像を注意深く見てみると、左足の親指がほんの少し上を向いているのです。これって一体どういう意味があるのだろう・・。
ちょっと調べてみたところ、諸説あるようでした。『観音さまは救いに来てくれる姿を表していて、親指を起こしているのは止まろうとするところ。』という説。別の説は『足の親指を上げ、静から動に移り変わる時の相。』とあり、最初の説とは逆です。また、邪気を踏みつけているものの足の親指だけを上に上げて力のかかり方を押さえている・・というのもありました。これが『仏の慈悲』なのだとか。きっとどれも本当なのでしょう。見る人の心の状態で、観音様の出方も違うということでしょうね。


写真は中尊寺近くの高館義経堂から見た北上川。平泉は、義経が妻子と共に自害した終焉の地と言われている場所です。その500年後、松尾芭蕉がこの地を訪れています。奥州藤原氏の栄華と没落、義経の最期を思いあの有名な句、『夏草や 兵共が 夢の跡』を詠んでいます。義経も芭蕉も、この高台の地から眺めた同じ北上川の流れです。
2006.9.4
東北・函館旅日記2・旅先で思うこと
旅に出るとまず思うのは、『わたしはここで暮らせるだろうか・・』ということ。とくに田舎の町や村に行くと、必ずこの思いが浮かんできます。そして、そこで暮らしている自分を想像してみる。仕事は何をするだろう・・。休みの日はどこで暇をつぶすだろう・・。東京に行きたいと思うだろうか?どんな家に住むんだろう・・。毎日何を思うだろう・・。そして最後には『いやいや、ここに住むのは無理無理。』という結論に達します。結局自分は汚れた都会の人間なのだ・・ということで。
先日の旅行でのこと。一ノ関から中尊寺に向かうバスに乗りました。普通の路線バスで、中尊寺に向かう観光客よりは、地元のおばちゃんやおばあちゃんの方が多かった。おばあちゃんはみんな小さくて、つばのある帽子をかぶって、日に焼けてほっぺたがピンク色でした。きっとこの町で育ったかもしくは隣の町からお嫁に来て以来、ずっとこの町に住んでいる人たち。平凡な毎日を平凡に幸せに過ごしてきた人たちなのだと勝手に想像していました。
東京にいるとなんだか『なにかやらなくちゃ』みたいなのが常にあって、退屈することや平凡な毎日を過ごすことに疑問を感じてしまうけど、本当は退屈も平凡もなかなかいいものなんじゃないかと、思ってしまいました。そんな年輪を刻んだおばあちゃん達に出会えるのも旅の楽しみのひとつです。


写真は中尊寺手前にある、武蔵坊弁慶の墓の近くに咲いていた紫陽花。夏の終わりの紫陽花は、咲いたばかりの鮮やかな色がなんともいい具合に退色しています。東北の短かった夏が過ぎていく『切ないかんじ』を色で表したらこうなりました・・・みたいな素敵な色ですね。
2006.9.1
東北・函館旅日記1・田んぼの国。
夏休みに東北と函館に行ってきました。江戸時代、南部藩だった地域です。
南部地方といえば、南部鉄器、南部せんべいなどにその名前が残っていますが、お米の生産量でその国の豊かさが量られていた江戸時代には大変な思いを強いられた地域だったようです。基本的に稲作は南方のものですから、いくら日本列島とはいっても本州北限の地までに稲作を強いるのはちょっと無茶ってもんですよね。冷害に悩まされて、かなり苦しい思いをした藩だったらしいです。
日本を旅していると、本当にお米の国なんだな・・・というのを実感します。電車で窓の外を見ていると、どこにいっても必ず田んぼがある。もちろん、東北と九州の風景は違うけれど、どこか似たものがあるのは、『田んぼがある』という共通点があるからかもしれません。
今回の旅のルートは、。平泉・中尊寺から、花巻に行き、花巻から湯治場・大沢温泉へ。そこから盛岡を経由して陸中・宮古の浄土ヶ浜。そして久慈、八戸を経由して奥入瀬渓流、十和田湖を見たあと、青森を経由し青函トンネルを渡って函館へ。函館から東京は飛行機で、それ以外は全て列車の旅でした。
青函トンネルを渡る前、青森の端っこにも稲がゆるやかな波のように風にそよいでいました。この地方でも、きちんとお米が採れるように、お百姓さんたちはお米を品種改良してきたんですね。人間は生きるために進む生きもの、ということを実感しました。

写真は南部の田んぼ。穂先が少しずつ黄色くなってきています。もう少ししたら稲刈りの季節。田んぼの持ち主も忙しくなります。